東京国立博物館特別展『中尊寺金色堂』の内覧会に行ってきました。
会期:2024年1月23日(火)〜4月14日(日)
会場:本館特別5室
東博本館特別5室は寺社と共催の特別展が多い印象があります。
1室のみのコンパクトな展示室なのでふらっと気軽に見られて好きです。
2023年『やまと絵展』のような超大規模展示も好きですが、見る方も時間・気力・体力を求められますからね。
中尊寺金色院所蔵の金色の仏像たち
壁も天井も黒い展示室に、スポットライトに照らされて浮かび上がる金色の仏像たち。
神秘的でよい展示空間でした。
東博の照明技術は、国内の博物館の中でもトップクラスです。
普段は中尊寺金色堂に安置されている国宝の仏像11体たちの、漆のツヤと金箔の輝きが照明により品よく引き立てられて美しかったです。
また、全ての仏像が360°から鑑賞できるのもよい。
中尊寺に行っても側面や背面は見られないので、博物館だからこその鑑賞ができました。
金塊
藤原清衡が葬られていた木棺の副葬品のひとつ。
3〜4cmの粘土のような金塊です。照明によりまばゆく光っていました。
10世紀の奥州の黄金仏教文化をシンプルに偲ばせる資料でした。
これだけふんだんに金を使う文化があったことに改めて驚きます。
・奥州は大陸、蝦夷地と本州をつなぐ交流の拠点で〜
・奥州では金が算出し、鎌倉や京にも輸出していて〜
という教科書知識は知っていたけれど、展示ケース内の小さな金塊の輝きがすごく雄弁で、モノ資料のもつメッセージの力強さを感じました。
金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅
これ、近くで見てびっくりしました。
金文字の経文で仏塔が描かれています。
てっぺんの相輪や屋根の下からはみ出て見える木材(斗供)や屋根の先端にぶら下がる風鐸まですべて経文! すんごい細かい。そしてきれい。
仏塔をとりかこむ曼荼羅も繊細で優美。
12世紀のこれだけ贅沢な仏教絵画が状態がよく残っていることに驚きました。
絵師は京から招聘されたのでしょうか。見本となった曼荼羅もきっと存在するでしょう。材料も含めてどこから来たかを考えると、当時の奥州の経済水準や交易範囲の広さがよくわかります。
持国天立像・増長天立像
展示されていた仏像の中で最も気に入ったのはこの2体。
踊っているかのような躍動感。袖がなびきすぎて、漫画の効果線のようになっています。
それぞれS字・逆S字に大きく体をひねって、後ろから見るとお尻もぷりっとダンサーのよう。
のちの鎌倉仏像のような動きのあるこの像は、当時の平泉の仏教文化がいかに先端的だったかを物語っているそうです。
踏みつけられている邪鬼は無駄な線がなく、どっしりと安定感があります。落ち着いた表情で、頼りがいすら感じます。
最近の東博名物?「今回はこの資料か!!」なぬいぐるみシリーズ、今回は持国天に踏み付けられている邪鬼でした。
金色堂復元模型
昭和37年から行われた昭和の大修理の際に作成された金色堂5分の1の縮尺模型。
金色堂の名のとおり金のイメージが強かったけど、これを見て、須弥壇や柱にほどこされた螺鈿のきらめきがすごく目立つことに気づきました。
安定してまばゆく光る金に対して、螺鈿は光があたるたびに小さくキラッと輝きます。それが堂内のあちこちで起きるのです。
金の海で輝く水しぶきのようで、堂から放たれる光に立体感がうまれていました。
長く続いた戦乱を生き抜いた藤原清衡が思い描いた極楽浄土のイメージが再現されたかのようでした。
一連の展示を見て感じたのは、藤原氏が滅んだ後もこれらの金色の文化財が略奪などで散逸せずに現代に伝わっているすごさです。
世界遺産に指定されている平泉の文化財のうち、政治的拠点だった柳之御所はすでに遺跡にしか残っていないですが、中尊寺や毛越寺は残っているんですよね。(無量光院は残念ながら残っていないけど)
金色の財宝が平泉にあることは平安時代から周知だったはずなのに、藤原氏が滅んだ後も、平泉自体は略奪されるほど荒廃しなかったんだな〜。
展示の最後に、頼朝が藤原氏を滅ぼしてすぐ中尊寺が頼朝に保護を求めたという『吾妻鏡』の記述が紹介されていました。政治体制の変化にあわせて生き残ってきた寺社勢力のたくましさを感じるエピソードです。