東京国立博物館表慶館で開催されている特別展『横尾忠則 寒山百得展』に行ってきました。
現代美術の巨匠の頭の中を、時空を超えて世界旅行しているようなめくるめく不思議な展示空間でした。
前文以外の解説はほとんど無い上に、作品名は全て日付のみ。作品からどのようなメッセージを受け取るかは鑑賞者にとことんゆだねられた自由な展覧会です。
開催期間は2023年9月12日(火)〜12月3日(日)。
全作品写真撮影OKです。
- 「寒山拾得」とは
- トイレットペーパーと掃除機
- 赤い布の変遷
- 組体操
- PARADOX
- AI、もしくはロボットか
- 水墨山水
- 横尾忠則さんのすごさを思い知った
- 誰の中にも寒山拾得はいるのかも
- 関連企画 特集「東京国立博物館の寒山拾得図ー伝説の風狂僧への憧れー」
「寒山拾得」とは
不勉強ながら、横尾忠則さんのことは日本現代美術で有名な方、というレベルの認識でした。名前は聞いたことがあるけど、代表作はあげられない…そんな感じ。
本展のテーマである「寒山拾得」は知っていました。
寒山と拾得とは、中国・唐の時代に生きた伝説的な2人の詩僧です。
ボサボサ頭、長く伸びた爪、ニヤニヤ笑い…お世辞にも美しい題材ではありません。常人には理解できない言葉を発し、奇行を繰り返したそう。
その常識にとらわれない生き様が、仏教の特に禅の世界の人の心をとらえたようです。日本でも多くの文芸人が題材にしてきました。
上のリンクの作品では描かれていませんが、寒山は巻物(経典)、拾得は箒を持つ姿で描かれることが多く、2人を示すアイコンになっています。
この知識があった上で、本展のチラシやポスターを見ると「???」。
晴れた日の青空のような水色に、点対称に配置された幾何学なでパステルカラーなロボット(?)が2体。
ここはどこだろう、何をしているのだろう。寒山と拾得は少なくとも人間だったはずだけど。
トイレットペーパーと掃除機
最初は印象派のような穏やかで明るい色彩でヨーロッパの景観を思わせる作品が続きます。寒山拾得=水墨画だと思っていたので、ここからびっくり。
この作品はベネツィアのゴンドラに乗っている2人かな。
ゴンドリエーレの近くに「Bukan」とあるので、彼は2人の師とされる豊干禅師のようです。
寒山が抱えているトイレットペーパーは、寒山のシンボル・巻物が横尾さんの解釈により姿を変えたもの。拾得の箒も、掃除機やクイックルワイパー(?)などに変化しています。この作品では、左手前の杭?が箒の変化形なのかも。
トイレットペーパーからの連想で、トイレもたくさん描かれます。寒山拾得というよりもトイレをいかに描くかがメインになっているのでは?な作品もあり、思わず「なんだこりゃ」と笑ってしまいます。
この作品は2人の結婚式のようにも見えます。寒山の足元にいる動物は、伝統的な寒山拾得絵画で豊干禅師が連れていることが多い虎だと思われます。ちょっと情けない表情なのがかわいい。
トイレットペーパーはウェディングドレスになり、箒はどこかにいってしまった様子。
赤い布の変遷
画面に急に現れた赤絨毯。しばらくはこの赤絨毯の上で繰り広げられる寒山拾得とゲスト(?)達の交流が描かれていましたが、最終的に片方が消えてしまうという意外な展開。
箒だけが残されているということは、消えてしまったのは拾得のほう?
ここで、階段を登って2階の展示室に移動します。
赤絨毯が赤マントになった!
明るくて自然の光を感じさせた白い壁から黒い壁になり、展示室全体が空想世界のような雰囲気に変化しています。
これはドン・キホーテがモチーフでしょうか。
絨毯はといえば飛ぶよね!と急に気がついたのか、飛び立つ2人。
僧形風の衣装、巻物と箒も伝統的な寒山拾得に回帰しています。
肌や髪の色、表情がはっきりと区別されていて、2人の性格の違いまで伝わってくるようです。バディもの冒険譚の連載第1話の表紙みたいで、わくわくする作品。
隣の展示室に移り、最初に目に飛び込んでくる作品。展示室が変わるたびに、そうきたか!と驚かされます。
そういえば、箒でだって飛べるよね!
今度の冒険は箒に乗って始まります。赤い布は再びマントに変化。
この作品から始まった2人の冒険は、闇夜?嵐?炎?の中と続いていきます。
組体操
2人のキャラ付けがはっきりしていた冒険譚から、2人が融合していくような作品に変化していきます。
僧形、箒、経典ぽい巻物と伝統的な寒山拾得の要素が描かれている、寒山の上に拾得が乗った縦長の作品。箒と寒山の顔が一体化して、スーモくんのようになっているのがおかしくもかわいい。
PARADOX
このあたりから、アルファベットが絵の中に盛り込まれていきます。
これはPARADOX=逆説。
僧形の2人が、モダン・アートの世界に紛れ込んだような作品。
赤いラインが印象的で効いています。
このあたりから、この日付の頃に起こった出来事は…とか、この作品が描かれた意図は…などを考えるのをやめました。
ただ横尾さんが頭に浮かんだことをそのまま描いているんだな、うん、と受け止めるようになりました。
「HOMO LUDENS(ホモ・ルーデンス)=遊ぶ人」は歴史学者ホイジンガが提唱した人間の本質。
「E=mc2」はアイシュタインが提唱した質量とエネルギーの関係式。
20世紀の人文科学と自然科学が、寒山拾得を中心に結びつく横尾さんの頭の中が気になる。
AI、もしくはロボットか
ポスターなどに採用されている「2022-12-01」はここで出てきました。
もう、どこの何のモチーフか筆者にはよくわかりません。
ですが「2022-11-16」からの変化がとっても興味深かったので、2枚とも写真におさめてみました。
水墨山水
年が明けて2023年。2人がホームの山水画の世界に帰ってきました。
伝統的な寒山拾得図を下敷きにしたシンプルな作品ですが、今までの冒険について語らっているかのよう。
横尾忠則さんのすごさを思い知った
本展の作品102点は1年半の間に制作されています。
ほとんどの作品は制作日が前後の作品と1週間も離れていません。1日で2作品描いている日もあります。
しかも、ほとんどの作品がキャンバスサイズ162.1×130.3cmで大きいのです。
85〜87歳にかけて制作されたとは思えない、すさまじいスピードです。ネタ切れや体力切れなどはなかったのでしょうか。
図録によると、横尾さんは自身の寒山拾得シリーズについて次のようにいっています。
「頭で考えるのではなくて体で考える。脳みそを体のほうに移動して、僕はそれを"肉体脳"と呼んでいる」
考えたことを描いているというよりも、湧き出てくるものを描いている。
思考が介在しないからこそ、こんなにも縦横無尽で変幻自在な一連の作品群が生まれてきたのでしょう。
短期間に次々と時空間を超えたいろんな要素が湧き出てくること、それを自由自在な描写技法で作品に落とし込めること。
横尾さんに連れられて時空間を超えて旅するような展示空間の中で、本展を見るまで横尾さんのことはほとんど知らなった筆者も、現代美術家・横尾忠則のすごさを思い知りました。
誰の中にも寒山拾得はいるのかも
展示室内には作品の説明文はほとんどありませんでしたが、横尾忠則さんが2022年3月に出版した『原郷の森』(文藝春秋)の一節が象徴的に散りばめられていました。
印象に残ったのは図録にも載っているこの部分。
谷崎「自分の分身だと思えばいいよ。Y君のなかにあるマヌケな部分もカシコイ部分もカッコイイ部分も自分の中の寒山拾得だと思えばいい。」
『原郷の森』最終章505頁
横尾さんは湧き出る精神をこれだけの作品として表出することのできる技量と環境があったけれども、誰の中にもその人なりの寒山拾得がただよっているんじゃないかな。
筆者の中の寒山と拾得は何を持ってどこへ行くのだろう。
関連企画 特集「東京国立博物館の寒山拾得図ー伝説の風狂僧への憧れー」
東京国立博物館本館で本展の関連企画も開催されています。
ぜひ「寒山百得展」とあわせての鑑賞をおすすめします。