星組公演 『柳生忍法帖』『モアー・ダンディズム!』 | 宝塚歌劇公式ホームページより引用
星組『柳生忍法帖』を見てきました。
公式サイトで
- 会津藩のお家騒動を発端としたストーリーであること
- 悪逆非道な藩主とその配下達に殺戮された会津藩家老堀一族の、遺された女たちによる復讐譚
ということだけとりあえず予習。
SNSではそんなに好評を見かけない(もはや触れられていない…?)のであまり期待していなかったんですが、これが意外と、かなり面白かった。
エログロ要素が結構きつい原作のどこを残し、どこを削いだのか気になって観劇したその日に原作小説を買って徹夜で読破してしまいました。
そのうえで、感想。
まずは、大野先生、清く正しく美しい宝塚という舞台で、どうしたって美しい銅伯と七本槍を女たちによる復讐相手としてふさわしく描くために苦労されたんだろうな…。(漫画版の七本槍(銀四郎除く)なんて霊長類の妖怪みたいな見た目ですよ皆様。)
宝塚版オリジナルの場面もいくつかあり、エログロによる生理的嫌悪ではなく、哀しみをたたえた場面・キャラクターを作ることで、銅伯と七本槍の凶悪さを表現していたんじゃないかな。
今回はその要素の一つ、宝塚版ゆらについて。
宝塚版の人物紹介はこちら。
山田風太郎の原作版ゆら
原作を読んでびっくりした。
ゆら、明成にノリノリで協力してる…!
なんなら自分からアイデア出してるし、銅伯も明成もちょっと引いてる…!
明成により家畜や道具のように扱われる女性たち(男性もいる)の中で、原作小説版ゆらはむごく扱う側にいる唯一の女性です。
父銅伯の野望・芦名家再興のための鍵であることは宝塚版と同じですが、その立場を大いに利用し、奔放に楽しみ、さらにそれを盾にとって十兵衛を情熱的に愛する。
愛を遂げながら、芦名一族の夢も叶えようとする。その姿に葛藤は感じられませんでした。
宝塚版ゆらは普通の少女の感性を持ったまま、本心を押し殺して銅伯のために役割を果たそうとする健気な娘のような印象を受けました。
登場時こそ舞空瞳の人形のような美しさと豪奢な衣装により銅伯と同じ人外の存在のように思えるのだけど、十兵衛の腕の中でこと切れるときにはすっかり少女に戻っていた。
男たちの理屈で抑圧されているほかの女たちと同じ哀しみを感じました。
なぜ宝塚版のゆらからは哀しみを感じたのか。舞台化にあたり改変・追加された以下の要素が大きいと思う。
目の前の人に恋をするお香はゆらには効かない
原作ではもっと直截的なお香なのですが…ゆらにも効果を発揮します。
でも宝塚版では効かない。いや、昔は効いていたけどすっかり耐性がついてしまった
ゆらがどのような人生を送ってきたか察することができてしまう台詞だった。
ゆらと虹七郎の過去
幼馴染の淡いロマンスを想像させるこの設定、原作にはない宝塚オリジナル。
ゆらは明成に嫁ぐのが本当は嫌だった。婚礼の前に虹七郎に「連れて逃げて」とすがったのに裏切られた。
この場面1つで、冒頭の明成を篭絡する場面や江戸屋敷の花地獄の場面でのゆらの振る舞いは本意ではなかったことがわかる。「銅伯の娘」として本心をひた隠しにしてふるまってきたゆら…。
大野先生からの「ほの見える人の好さを消してほしい」というオーダーに瀬央ゆりあがしっかりと応えていてとてもいい。一族悲願のために、自分に寄せられるゆらの気持ちを聞かなかったことにする…今までの瀬央ゆりあの役からは考えられない非情さ!
(ティボルトにすらこじらせた純愛の片鱗を感じたというのに)
虹七郎とゆらの目線の交わしあいに注目してもう一度頭から観劇したい(チケット…)
地獄に堕ちるゆら
宝塚版のゆらの今わの際のセリフ
「悪事を重ねてきた自分は地獄に堕ちる」
芦名一族再興のために本意ではなかったが手を汚してきた、自らの罪を言い訳しない潔さ。
少女の表情をとりもどしたゆらの健気さと気丈さに胸を打たれて思わずもらい泣きしました。
ゆらの思いに応えてそっと口づけをする姿に十兵衛の優しさを感じるこの場面、ゆらの苦悩が静かに浄化されていくようでとても好きです。
ラストの十兵衛のセリフも原作と宝塚版で微妙に違う。
原作「おれだけが弔ってやらねばならぬ女がある」
宝塚版「おれだけが弔ってやれる女だ」
この違い、ゆらの最期の描き方の違いを受けてだと思うんだけど、考えすぎ? 文語っぽい言い回しを口語にしただけ?
大野先生に聞きたい。。
どちらにしても、渋いかっこよさがつまった台詞だ。。
明成に嫁いで以来押込められていたゆらの中の「少女」が、十兵衛と出会って息を吹き返し、今生最後の恋、と覚悟を決めて駆け抜けてゆく。
まるで寛永版ロミジュリ?
あの原作をもとに、こんなにもピュアなゆらを描き出してみせる大野先生、さすがです。
最愛(なのかわからないが)の娘にも犠牲を強いる銅伯、という構図ができあがり、原作の凄惨な描写を省いても芦名一族再興の野望への執念が印象付けられている。
ゆらのことだけでこんなにたっぷり書いてしまった。
ほかにも気になった場面まだまだあるのでまた別の記事で語ります。