先日、ご縁あって歌舞伎座「壽 初春大歌舞伎」夜の部を見る機会をいただきました。
小学生くらいのときに子供向けの歌舞伎教室を見に行って以来で、大人になってからは初めての歌舞伎です。
一幕・熊谷陣屋、二幕・二人椀久、三幕・大富豪同心で、幕間含めて約4時間。
お誘いいただいた方からは「寝てしまっても大丈夫ですからね」とお気遣いいただきましたが、どの演目も興味深く舞台釘付けで楽しめました。
※以下、あらすじと画像は壽 初春大歌舞伎|歌舞伎座|歌舞伎美人から引用

元歴史学徒としては、一幕「熊谷陣屋」がツッコミどころ満載でありながら泣けて面白かったです。
※二幕・三幕は宝塚ファン目線で感想を書きました。
一、熊谷陣屋(くまがいじんや)
戦乱の世の無常が胸を打つ、時代物の名作
源平合戦のさなか、源義経の家来熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)は、敵軍の平敦盛(たいらのあつもり)の命を助けよとの密命を受ける。やむなく身替(みがわ)りにしたのは直実の息子だった。しかし熊谷の陣屋に、息子を心配する妻の相模(さがみ)があらわれる。

史料批判について
歴史学では、後世の創作や脚色によるイメージを取り除いて対象を見ることが必要です。
そのため「史料批判」を学びます。
古文書や書物に書かれていることをそのまま受け取るのではなく
この古文書や書物はどれくらい信頼がおけるのか?
をまず考えます。
基本的には、研究対象とする人物に時代的にも距離的にも近ければ近いほど信頼のおける史料、ということになります。
熊谷直実のことを研究する場合だと、最も信頼できるのは熊谷直実本人が書いた史料や直実に宛てられた史料。次に、直実が生きた時代に直実のことを記した史料。(残念ながら、ほとんど存在しませんが…)
特に平安時代末期から鎌倉時代の武士に関する史料は圧倒的に少なく、だからこそ創作の余地があるのか、後世の人々がたくさんの創作を生み出してきました。
そのエピソードの数々により武士達についたイメージを意識して取り除くのは、とても大変な作業です。
逆に言うと、後世作られたエピソードの数々がとても魅力的だということでもあります。
前提がすごく長くなりました。
モリタは大学時代に源平合戦の時代を研究していたので、『平家物語』の「敦盛最期」の段がいかに脚色されて「熊谷陣屋」が作られているのか、に注目して臨みました。
タイトルだけ見て「熊谷直実の話なんだな」と思ったくらいで、あえて予習はせず。
念のため、この先ネタバレがあります。
まだこの演目をご覧になっていない方はご注意ください。
これがエンタメ・歌舞伎か!
これがもう、想像以上の盛りっぷり。脚色っぷり。
冒頭から熊谷直実の妻・相模という『平家物語』には登場しない人物が現れます。内乱の中、息子が心配で武蔵(埼玉県)から一ノ谷(兵庫県)までやってきてしまう行動力がすごい。
そこに現れる熊谷直実。
そしてあらわれる、藤の方。
この方もどなた!?
ここから、夫婦の過去話が始まります。
いや、熊谷夫婦の過去話って何!?
さらには、敦盛は後白河院のご落胤という衝撃の事実まで出てきた!
まだ物語は序盤ですが、盛り盛りの設定にすでにお腹いっぱい!
ですがこの先まだまだ、魅力的な登場人物が現れます。
いやーな感じのチクリ魔・梶原景高。(史実ではもう少し先まで生きるはずですが、作中で急に亡くなって?驚き)
謎の老人・石屋の弥陀六。
面白くなるなら、いくらでも設定を盛る!
これが庶民のエンターテイメント・歌舞伎かー!
ストーリーとしての面白さ
「一枝(いっし)を伐(き)らば、一指(いっし)を剪(き)るべし」
冒頭で登場する、義経の血なまぐさい高札が伏線になっています。
一枝と一指はさらに、一子に掛かり、直実に苦渋の決断を迫ります。
その決断が明らかになる場面は壮絶でありながらもドラマチックで、
これをふまえてもう一度、直実登場から敦盛の最期を語る場面までを見たいです。
途中で、義経は3歳の時に平家方に命を救われていることが明かされます。
かつて敵方に命を救われた子どもである義経が、今度はとある人の子を生かすために別の人の子の命を犠牲にする。
江戸時代にこの演目を見ていた人々はこの場面の数年後に、義経の子が生まれてすぐに頼朝に殺されてしまうことは知っていたはず。
とある子の死を、義経は我が子の命をもってあがなったのでしょうか。示唆的な構造です。
誰に感情移入するかで感じ方も変わりそうです。
モリタは直実の妻・相模に感情移入してしまいました。彼女の立場から見ると、とんでもない話だなと。
息子を心配して埼玉から一谷まで来てみたら、衝撃の展開で夫は出家してしまうし、明日から一体どうやって生きていけばいいのか・・・。
藤の方と弥陀六が驚いて鎧櫃の中を見ている時に、黙って後ろを向いている相模の背中が涙を誘いました。
平安末期を舞台に江戸時代の価値観を描く
歌舞伎の「時代物」に分類される演目は舞台は江戸時代よりも前の時代だけど、ストーリーには江戸時代の価値観が色濃く出ているのですね。
主君の恩は家臣の恩。
だから、義経の恩を家臣の子の命をもって返す。
それどころかこの話では直実が出家する理由が、子がいなくなったことにより「家」が絶えるから、とされている。主君のために子の命どころか江戸時代で最も重視される「家」まで犠牲にしているのですね。
平安時代末期の武士の価値観からしたら考えられない。
そもそも直実は義経の家臣ではないし・・・。
百歩譲って、息子の命と引き換えに所領がもらえるならやるのもしれない。もちろん小次郎以外にも息子がいるという前提で・・・。
ちなみに、仏教の無常観が強く打ち出されている『平家物語』では、敦盛は理想の若武者として描かれ、直実は息子ほどの年齢の若者の命を奪わなくてはならなかったことに虚しさを感じて出家します。
「熊谷陣屋」での直実の出家は、儒教の影響が強い江戸時代ならではの美談だなと思います。
歌舞伎の衣装にも注目
展開を知らずに見たのですが、実は途中でちょっとオチに感づきました。
直実が敦盛の最期を話す場面で、敦盛の鎧を「緋色」と表現したからです。
『平家物語』では敦盛の鎧は萌葱匂縅。(爽やかな緑色。初陣のフレッシュな若武者という感じ)
もし、これが伏線だったら『平家物語』を知っている観客は鎧の色の時点で「おかしいな」と気づくはず。すごい匂わせ。
でも、江戸のエンタメだから「そのほうがかっこいいから!」という理由で、敦盛にも緋色縅を着せるのかもしれない。
着物は江戸時代の衣装だったので、心の目で直実には直垂を、相模には小袖を着せました。藤の方は壺装束でしょうか。
でも直実が制札を持ち見得を切る場面では、長袴が階段に広がり、制札の柱の長さとあいまってめちゃくちゃかっこよかったです。あれは直垂では締まらない。
一方で、甲冑は少し古風に南北朝期風だったのも面白かったです。
ただ、義経が胴丸?腹巻き?で現れたのはちょっとずっこけそうになりました。
動きにくいのかもしれないですが、ずっと座っているし義経だけでも大鎧でいいのではないかな。
でも、先日の暴れん坊将軍の日本酒タワーにツッコミを入れるような野暮をしている気がする・・・。
歌舞伎、また見たい
ある程度『平家物語』や史料から見た歴史の知識があったので
初歌舞伎は予想以上に楽しかったです。
意外とチケットも取りやすく、一幕見ならお値段もお手頃なこともわかったので
時代物をたくさん見ていきたいなぁ。
まずは「熊谷陣屋」が含まれる「一谷嫩軍記」が掛かったらチケットをとってみようと思います。